が、授業の合い間には弔辞を作っ
たり、教科書を編んだり、御前講演の添削をし
たり、外国の新聞記事を翻訳し
たり、——そう云うことも時々はやらなければならぬ。
なおまた皆川蜩庵の書いた「木の葉」の中の「伝吉がこと」も「数年を経
たり」と断っている。
重吉はこの茶の間へはいると、洋服を和服に着換えた上、楽々と長火鉢の前に坐り、安い葉巻を吹かし
たり、今年やっと小学校にはいった一人息子の武夫をからかっ
たりした。
どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖をつい
たり頤の先へ指をあてがっ
たりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。
こつちの岸の方が深く、川のなかには大きな石が幾つもあつて、小さな淵を作つ
たり、流れが激しく白く泡立つ
たりしてゐる。
信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に仄かせ
たりした。
松岡と分れて、成瀬と二階の教室へ行くと、もう大ぜい学生が集つて、ノオトを読み合せ
たり、むだ話をし
たりしてゐた。
彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立て
たりした。