渡辺小左衛門は鳥銃をぶらさげて冬山をのそ/\とぶらついてゐる男のことを考へると、ちようど蛇の嫌ひな者が蛇を見た
ときと同じ嫌悪を感じた。
ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。
しかし、短時間の戦闘や偵察の
ときとはちがい、遠距離へ飛ぶこととなれば、長時間寒冷の中を行くこととて、保温装置も大仕掛にしておく必要がある。
行き暮れて辻堂に寝た
ときとか、汚い宿に幾日も降り籠められていた
ときなどには、彼はつくづく敵討が嫌になった。
わたしは一
ときとたたない内に、北条屋の家の中にはいっていました。
文化の時と文政の
ときと、それが同じ下手人であるかどうかは判らなかった。
侍のほうではたといおのぼりさんでもとにかく二本差しなんだから、いつもの
ときと同じようにおどし文句が通用すると心得ているのでしょう。
買って出て男の上がる
ときと、でしゃばって顔のすたる
ときとあるんだからねえ。
母はブツ/\云いながら、それでもお前が「四・一六」に踏み込まれた
ときとはちがって、平気で表の戸を開けに行った。
グラッドストーンのご
ときといえども、一国について見れば二、三人あり得るのみで、しかも大宰相たるは一時に一人のみしか存在を許さない。