「蓮月尼の『岡崎の里のねざめにきこゆなり北白川の山ほととぎす』が私は好きで、その起き臥した跡を尋
ねたいと思いながら、今度は果しませんでした。
すると図書館の係りの者が、「日本ではいつたいこの筆写本の写真が何枚いるのだ」と尋
ねたさうである。
あの祝典に参列した一外国人が、そばにゐた親しい友人に向つて訊
ねたさうであります——「私はこんな立派な儀式を世界のどこでも見たことがない。
あの祝典に参列した一外国人が、そばにゐた親しい友人に向つて訊
ねたさうであります——「私はこんな立派な儀式を世界のどこでも見たことがない。
どつちかへ加担するものがあつたら、私はとくとその理由を訊
ねたい。
先づ、私が訊
ねたいと思ふのは、本誌の読者で、「現在の芝居」を観に行く人が、どれだけあるかといふことだ。
丈「こう云う訳になって致方がない、前橋の方も尋
ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰になった、よく来た、どうして出て来たのだ」