私の携
へた書物は二三冊に過ぎなかつたと思ふが、その中に一つ、ロシヤ革命のことを書いたサックの『ロシヤ民主主義の誕生』といふ本があつた。
大ぜいの中には「ヒイア、ヒイア」と声援を与
へた向きもある、「もつと手厳しくやれ、仲間褒めをしてはいかん」と怒号する向きもある。
唯、所々、崩れかゝつた、さうしてその崩れ目に長い草のは
へた石段の上に、鴉の糞が、點々と白くこびりついてゐるのが見える。
この「しめおん」は、元さる大名に仕
へた、槍一すぢの家がらなものぢや。
なれど「れぷろぼす」は、性得心根のやさしいものでおぢやれば、山ずまひの杣猟夫は元より、往来の旅人にも害を加
へたと申す事はおりない。
彼はその生れた男の子に、八島士奴美と云ふ名を与
へた。
殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を与
へたのである。
十分尊敬の意味は含まれているんだが、しかしまた、戦術が
へただとか融通がきかないとかいうそしりの意味もないことはなかった。
ところが指導を受ける生徒の中に偶然水原といふ、私は知つてゐるが向うは知らぬ美しい少女がゐたので、私はうろた
へた。