パパには鋸楽師のおいぼれを連れて行くことを云い出した。
「
パパ、ママ」排撃を事新しく持ち出すわけではないが、外来語の横行もこんなになってくると深く考えさせられる。
あるときは油を流したようをしずかな青い海の上を、モン
パパ号は大いばりで進んでいった。
ハイカラな家庭といへば、必ずしも、夫婦が一緒に手をつないで散歩し、子供に、「
パパ」「ママ」と呼ばせ、……などする家庭のことをいふのではなからう。
「ねえ、
パパつたら……」といふ文句を、きまつて頭へつける子供の習癖を、僕は心の中で悲しんでゐる。
「身辺雑事」は、氏の善良なる「
パパ振り」を発揮した、しかも、なか/\哲学的な瞑想録で、子女の教育に当るものは、均しく興味を以て読むことができるであらう。
けれども僕はなんだか臆病になって
パパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
「
パパさんは、あそこへ一緒に行って下さらないの?」そう尋ねたのは五歳の時でした。