その後、夜毎に、季節の木草をた
づさへて、窓を訪れる習ひとなつた。
その翌日、彼は上京中の対局料をた
づさへて津軽へ戻るところであつたが、封も切らずに、全部神様にさゝげてしまふのだからね、と、新聞の人がガッカリして私に云つた。
長い日本の小説史を顧ると、伝説を固定させた創作が、だん/″\く
づされて伝説化していつた事実は、ざらにあることだ。
「愍然想つてくれ召せや」と磯藻の様にな
づさひ寄る濃い情に、欠伸を忘れる暇もあつた。
この問題を除外して、今われわれが「舞台の仕事」にた
づさはることは、殆ど無意味である——といふことであつた。
私は文学にた
づさはるものゝ一人として、むろん、多少の感想はないことはないが、それを今、なんのために、誰に向つて云ふべきであらう。
初秋の薄ら冷たさも身に泌みなれた九月下旬の或日の夕方、いよ/\それを取は
づさうとして手をかけた。
ま
づさういふ熱心さはそのころ誰しも抱いてゐたところである。