つまり
中世乱離の頃は戦争と博奕といふものが密接な関係を有して居たのが、末代太平の世には山の祭と云ふものと博奕とが大きな関係を持つやうになつた。
だから「翁」は、
中世以後、実生活上の老夫としてのみ考へる事が出来なくなつてゐるのです。
一般文化も
中世は見方によって暗黒時代でありますが、軍事的にも同じことであります。
唐の
中世まで人文未開の域であつた福建が、三四百年後の南宋時代になると、道學者の淵藪となつた。
唐の
中世以後は、大臣の任免は勿論、天子の廢立すら宦官の意の儘であつた。
中世の外國人達が杭州を指して、Khinzai 又は Khanzai と稱するのは、この行在を訛つたものと見える。
Reinaud はこの物語の序論として、
中世に於けるアラブ人の東洋貿易界に於ける活躍の歴史を附し、又その本文に對して尠からざる註解を施した。
しかも明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義は全国にわたって、この大いなる
中世の城楼を、なんの容赦もなく破壊した。