二葉亭や美妙斎の大胆な試みに過ぎなかつた時代から見れば、今日の口語文は、確に一種の形式を備へたものになつて来てゐる。
その時の
二葉亭の答が、今では発揮と覚えていないが、何でもこういう意味であった。
が、
二葉亭の一生はこれらの二君に比べると更に一層意味のある近代的の悶えと艱みの歴史であった。
こんな塩梅に児供の時分から少し変っていたので、
二葉亭を可愛がっていた祖母さんは「この子は金鍔指すか薦被るかだ、」と能く人に語ったそうだ。
二葉亭が小説家型よりは国士型であるというは生前面識があった人は皆認める。
二葉亭氏の實際の物の言ひぶりを聽いても矢張その通りであつた。