源氏をば一
人となりて後に書く紫女年わかくわれは然らず
親房の子顕家、鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付頭
人となりて国政に参与したり。
如かず十全の日を待ちて、遺憾無く興趣を釣り、悠々塵外の
人となりて、神を養ひ身を休め、延年益寿の真訣を得んには。
其夜より娼婦の如くなまめける
人となりしをいとふのみかは
技やよしあしの何は問はず、黒人は存外まづいものなり、下手なものなり、いやでも黒
人となりて、其処に衣食するに及べば、已に早く一生の相場は定まれるものなり。
太田資正謙信を評して、「謙信公のお
人となりを見申すに十にして八つは大賢人、その二つは大悪人ならん。
彼等にとりて價値のある生活は、商賣
人となりて算盤をとるか、政治家となりて國政を議するか、救世軍となりて街頭に太鼓を叩くかの外にはあり得ない。