人間性の省察は、夫婦の関係に於ては、いはゞ鬼の目の如きもので、夫婦はいはゞ、弱点、欠点を知りあひ、むしろ欠点に於て関係や対立を深めるやうなものでもある。
つまり大概、謎の成功のために
人間性をゆがめたり、不当なムリをムリヤリ通しているもので多少のムリは仕方がない、というのは許さるべきではない。
然し、直接に不協力の意味に於て、
人間性の冷酷な写実を悪徳と見るのは当らない。
この重量は
人間性に就ての洞察探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。
傑作は非情であり、低い意味の
人間性は排した方がよいといふ考へだ。
それは
人間性の習作と見て素晴らしい效果を收めてゐる。
結局唯物史観の源頭たるマルクス自身の始めの要求にして最後の期待は、唯物の桎梏から
人間性への解放であることを知るに難くないであろう。
この二つがまじり合って起こらないなら、それは病的徴候であり、
人間性の邪道に傾きを持ってるものとして注意しなければならぬ。
何をおいても、
人間性の霊的・美的教養の書物は逸することを恐れて、より高く、より美しきものをと求めて読んでおかなければならないのである。