采女は単に召使のように考えているのは誤りで、実は国造における采女同様、宮廷神に
仕え、兼ねてその象徴なる顕神の天子に
仕えるのである。
干宝は東晋の元帝に
仕えて著作郎となり、博覧強記をもって聞えた人で、ほかに『晋紀』という歴史も書いて居ります。
その偽蜀に
仕えていたので、杜光庭の評判はあまり好くないようですが、単に作物として見る時は、この『録異記』などは五代ちゅうでも屈指の作として知られています。
徐鉉は五代の当時、南唐に
仕えて金陵に居りましたが、南唐が宋に併合されると共に、彼も宋朝に仕うる人となって、かの『太平広記』編集者の一人にも加えられて居ります。
この通事は身分の高い家に
仕えている者であったので、その主人が牛三頭と白金一笏をつぐなうことにして、梁氏に示談を申し込んだ。
織田家は宗家の義廉に
仕えて、信長の時まで、とにかく形式だけでも斯波の家臣となっていた。
心を正しくしなければ諸人誠をもって
仕えない、ただ才智許りでなく度量を広く持たれます様に、
真田は、信濃の名族海野小太郎の末胤で、相当な名族で、祖父の幸隆の時武田に
仕えたが、この幸隆が反間を用いるに妙を得た智将である。
爾来彼は朋輩の軽蔑も意としないで、ただまめまめしく
仕えていた。