倭名鈔は、醍醐天皇の第四皇女勤子内親王の
仰せによって、源順が奉ったといわれている。
以言はと
仰せらるれば、白沙の庭前、翠松の陰の下に、陵王の舞楽を奏したるに似たり、と申す。
この忠直が御先を所望してあったを、お許されもせいで、左様な無体を
仰せらるる。
そこで記者は、『御国のいまの天皇の御名前は何と
仰せられますか』と問うた。
それに私の御代に始めて始めたら後の世の笑草そしり草となるであろう」と
仰せてお聞入にならない。
子規のことは
仰せを受けずとも書きたいと思つてゐるのですが、今は用の多い為に到底書いてゐる暇はありません。
秀林院様御意なされ候は、三斎様のお許し無之うちは、如何やうのこと候とも、人質に出で候儀には同心仕るまじくと
仰せられ候。
」斯様申し聞け候へば、篠、此度は狂気の如く相成り、私前に再三額づき又は手を合せて拝みなど致し候うて、「
仰せ千万御尤もに候。