けれどとうとう明治製菓の近くに来るまで、ついぞ誰一人にも
会うことが出来なかった。
お忙がしいでしょうから二十分位と断って
会うときでも、やはり二、三時間も長座をするのが常例だった。
そこで春木少年と牛丸少年は、べつべつの道をとってどっちが早く生駒の滝につくか、その滝の前で出
会う約束で、競走をはじめたのだった。
その後、ついに会えないかと思った母親にも、また森おじさんにも、たった一度だけ
会う機会があった。
亦飢饉時の普請にしても、当時後花園天皇の御諷諫に
会うや、直ちに中止して居る。
あらば早う
会うて見たいものじゃが、あるかないか、どうじゃ」
「ある人が橋の下で友達に
会う約束をして待っていた。
カフィール族はその酋長に
会うたびに、「私はあなた様の犬でございます」と挨拶をするという。
それに、こんなところで父を知っている人間に
会うのは、少々きまりも悪かったのだ。
もう、死んだんが本統であったんやも知れんけど、兎角、勇気のないもんがこない目に
会うて」と、左の肩を振って見せたが、腕がないので、袖がただぶらりと垂れていた。