彼らは河原の如き空閑の地に
佗住居して、市中の汚物掃除などを行い、それによって衣食の資を得るもので、文安の※嚢抄にはこの河原者をエッタ(穢多)とある。
三島から大仁までたった小一時間、それが私に取っては堪えられないほどに長い暗い
佗しい旅であった。
綾の局 召仕いもなき
佗び住居は、なにやらかやら心せわしいことでござるのう。
少し離れて建っている斎戒沐浴のため使ったという浴堂のまわりに木の葉が
佗しく掃き積っていた。
その闘いは金谷宿
佗住居の段で、兵助が返り討ちに逢うところであるらしくみえた。
私どもの住んでゐる矢來の家の周圍は、有閑階級の人達ばかりで、夏場はみな海や山に暑さを避けて、私ども夫婦は、さながら野中の一軒屋に
佗び住むやうな思ひであつた。
島崎氏はその後淺間山の麓なる
佗しき町に居を移された。
「吉祥天女を思ひがけんとすれば、怯気づきて、くすしからんこそ
佗しかりぬべけれ。