芸妓などは奮発して、五銭も十銭も
余分に包むからである。
母親は其の貧しい所得の中から、
余分な食物を子供達に規則正しく送つてゐた。
余分の感傷といふものがなく、崇高偉大なる事実のみが語りつくされ、文章が、たゞ事実の要求に応じて使駆されてゐるにすぎぬからだ。
私が少年時代、朕という言葉は、子供たちの遊び言葉で、おかげで我々は少年時代に、
余分に笑うことができた。
限りある都市の地積が一杯になると四捨五入して
余分を市外に掃出さねばならない。
田舎へ移り住んだからといって、
余分に米が買えるわけではなし、やたらに野菜が到来するわけではない。
成る程女の云うように、生きている頃は、一発銛を撃ち込む度に、
余分な賞与にありついていた。
非常に安いもので、そいつを幾本も林さんは選り出してくれ、
余分にあつたつて困りはせぬからとのことであつた。
恋のほかには
余分の思案というものもない平安京の多感な郎子であったけれども、佳人のもとへ通う夜道の危なさには、粋一念の心掛けも、見栄の魔力も、及ばなかった。
だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを
余分に持って行かなければならないといつも考えていた。