なぜなら、良
俗が如何に眼を覆ふにしても、それが人間の姿なのだから。
二種の流
俗が入り交った現代の日本に処するには、——近藤君もしっかりと金剛座上に尻を据えて、死身に修業をしなければなるまい。
文化の進んだ帰化人の間の民
俗が、はいから嗜きの民衆の模倣を促さずに居る筈はない。
即、うしろみ——後見——の習
俗が、此から出発した。
文化から天保といえば、今から百二、三十年以前のことであるが、八犬伝を読んでいると闘牛行事のしきたりや村民の風
俗が、いまと全く変わりがないのに気がつく。
而も其の風
俗が欧米の模倣でない所の風俗、さういふものに対して最も興味を持つ。
洋服を着た東洋豪傑がレコードの浪花節を聞いてゐれば世話はないやうなものゝ、この風
俗が何時までも続くのかと思ふと、日本の前途が案じられる。
さうしてその機微を知らぬ世
俗が、すぐに兎や角非難をするのは、夏雄の場合と同じださうである。
禪師が侍者を具して威張り込んで椅子にかけてゐると、僧
俗が交る/″\出て何か云ふ、應酬宜敷あるといふ次第だ。