何となくぼんやりして、ああ、家も、路も、寺も、竹藪を漏る蒼空ながら、地の底の世にもなりはせずや、連は浴衣の染色も、浅き紫陽花の花になって、小溝の暗に
俤のみ。
神代ながらの
俤ある大天井、常念坊、蝶ヶ岳の峰伝いに下りて来た自分は、今神河内の隅に佇んだ。
今宮の駕輿丁の話は、祇園の神の召使ひであつた
俤を示すと共に、広田や西の宮(夷神)と引つかゝりを見せてくれるのである。
そのかよわげに、かつ気高く、清く、貴く、うるわしき病者の
俤を一目見るより、予は慄然として寒さを感じぬ。
さうして、美しい次代の
俤を、自分の文學の上に、おのづから捉へて來た訣である。
ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその
俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。
玉簾の中もれ出でたらんばかりの女の
俤、顏の色白きも衣の好みも、紫陽花の色に照榮えつ。