庚寅の年、江西の節度使の徐知諫という人が銭百万をもって廬山使者の廟を
修繕することになりました。
あとになって帳簿を調べてみると、彼は
修繕の銭百万の半分以上を着服していることが判りました。
あちこちの同業者が輸出景気を見込んで、狐小舎の金網の
修繕など始めるのをみて、星住省吾も、ぢつとしてはゐられなかつた。
原田喜三郎と山田源之助は、二人共K造船所直属のカンカンムシで、入渠船の
修繕や、船底のカキオコシ、塗り換えなどをして食って行く労働者である。
その石碑は折れたままになっているが、無縁の墓であるから
修繕する者もないという。
ひと先ずその兜を取り片付けて
修繕に取りかかりました。
また建物といっては、いずれも古びていて、壊れたところも
修繕するではなく、烟ひとつ上がっているのが見えません。
田舎道をむやみに駈け通したせいであろうと思ったが、途中に
修繕を加える所はないので、佐山君はよんどころなしにその自転車を引き摺りながら歩き出した。
そしてもう三十年近くの間、誰ひとり出て来て、そういう勝手な客たちを追い払ったり、彼らの荒した跡を
修繕したりする者もなかった。