何故と云へば私の知つてゐる限りで、屡諸
君子の間に論議される天才の名に価するものには、まづ第一に龍村平蔵さんを数へなければならないからである。
十一時を過ぎると、母親に云いつけられたのか女学校へ行っている娘の
君子が、店をしまって、ガラガラと戸締りをしはじめた。
博雅の
君子亦「鏡花全集」を得て後、先生が日光晶徹の文、哀歓双双人生を照らして、春水欄前に虚碧を漾はせ、春水雲外に乱青を畳める未曾有の壮観を恣にす可し。
けれどもこの山水を贋物だと称する諸
君子は、悉くこれを自分の負惜しみだと盲断した。
佐佐木君は温厚の
君子、幸ひに先生の言を容れ、君が日星河岳の文字に自ら題して猥談と云ふ。
従つてマツチの商標は勿論、油壺でも、看板でも、乃至古今の名家の書画でも必死に集めてゐる諸
君子には敬意に近いものを感じてゐる。
大方の諸
君子にして、予が常識の有無を疑はれなければ幸甚である。
如何にも其遣方が地味とも見られ、凡そ紅粉と縁遠きため、
君子も近くべからしめ以て知識階級に呼懸ける神社神道を想はしめるものがある。
よろづ温順にして、
君子の体を具へて小なるものともいひつべきさまなる、取り出でゝ賞むべきものにもあらぬやうなれど、なか/\に好まし。