一国の門閥、
先代があまねく徳を布いた上に、経済の道宜しきを得たので、今も内福の聞えの高い、子爵千破矢家の当主、すなわち若君滝太郎である。
今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても
先代の椿岳の手沢の存する梵雲庵が復活するのではない。
古くからある普通の鮨屋だが、商売不振で、
先代の持主は看板ごと家作をともよの両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
そこへ、先々代家橘——
先代羽左衛門父——を失つた東京劇壇では、彼の上に其幻影を感じて、其身替りに据ゑかけてゐた我童が、姉と同じ病気になつた。
不思議なことに、
先代の赤耀館主人であった私の亡兄丈太郎の妻、つまり私にとっては嫂にあたる綾子も、係累の少い一人娘だったのです。
兎に角、われわれにとつて、歌舞伎劇は、あまりに横暴な親爺であり、あまりに敏腕な
先代である。
源之助の名を継いだ五代目はまだ若いし、
先代市川松蔦よりは融通はきくが、まだその年にも達していない。
この二代目はまだ二十一で、年も若し、腕も未熟、つまりは
先代の看板で三甚の株を譲り受けていると云うだけのことですから、八丁堀の旦那衆のあいだにも信用が薄い。
先代の久兵衛は先年世を去って、当主の久兵衛はまだ二十歳の若者である。
配偶の
先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。