亀遊のこの歌をみるごとに、私は米英打つべし! を高らかに叫んだ水戸の
先覚者、藤田東湖の歌を想い出すのです。
先覚者は知らず、末派のポジチビズムに於て、文学をポジチーブの事業とするの余りに、清教徒の誤謬を繰返さんとするに至らんことを恐るゝなり。
たゞ、それらの文学と深い関係のある、或る意味ではその
先覚者と目される正岡子規の、日清戦争に従軍した際の句に、
田口卯吉先生は学者として、識見家として尊敬すべき方であるが、出版の
先覚としても私は常に私淑している。
が、自分は依然として樗牛はうそつきだと確信していたから、
先覚者でもなんでも彼はうそつきだからいかんと言って、どうしても赤木君の説に服さなかった。