このレンズは初め土佐の山内侯が外国から取寄せられたもので、それが渡り渡って
典物となり、遂に父の手に入ったもので、当時よほど珍物に思われていたものと見えます。
私は彼と中学時代の同窓であるが、彼が羅
典語に通じてゐるといふことは、その時まで知らなかつた。
当夜の会には閣僚はじめ各国の大公使、それに対馬
典六、神田正彦も出席いたしておりました」
五六枚の衣を売り、一行李の書を
典し、我を愛する人二三にのみ別をつげて忽然出発す。
所謂古
典主義又は擬古
典主義なるものについては、特に面倒な説明を略して、ただ単に、その時代の代表的作家が、如何なる意味で「近代」に繋がつてゐるかを見ればよい。
その内外の二祖、咸な当時の魁儒たるに因り、希哲の文、
典訓を貫綜し、古今を茹涵す。
右に申述べた通り、唐時代から佛
典は隨分盛に印刷されて居りますが、次の五代時代からは、佛
典の外に儒書が印行される。
『舊唐書』『唐六
典』を始め、當時の公私の記録に廣府といふ名稱が疊見して居る。
でも、此講釋師
典山の讀み口を思はせる樣な名人作家が、新時代の小説の代表者だといふ事の出來ないのは勿論である。