そもそも「評価されるために仕事をしてるわけではない」と
割り切れると非常に楽ですが、人間なのでそうはいかないもの。
大人はみんな何かを
割り切って生活をしていくものらしいけど、夢を
割り切ってしまったら、それこそどう生きていけばいいのか。
これには各自異論もあるだろうが、「紙の本を風呂で読んでも良い」と
割り切れることは自分にとって気持ち的にも良い効果があった。
体調が良くないので仕方ないと
割り切って、何も考えなくて済むことを淡々としている。
数学好きな同級生たちは「国語と違って解答が一個だから
割り切れていていい」と言い、私は「国語の解答だって一緒。
おしっこが出なくなるよりはマシ!と
割り切ってはいますが、布団にやられたときは掃除が大変。
ただ、僕は昨夜に彼から”アグレッシブ”の意味を聞いておいて良かったし、
割り切って話し始めると、彼女は持っていたノートにとても綺麗な字で内容をメモし始めた。
だから、こうした生活におけるシェアの問題は「ルールの問題」なんだと
割り切ってしまったほうが楽。
だったらもっと自分の考えをより密にシェアしながら、集団でないと作っていけない物って
割り切った方がいいなっていう考え方にシフトしていきました。