その時、現今
医科大学生の私の弟が、よく見舞に来てくれて、その時は種々の談の末、弟から聴いた談です。
私だって、兎に角もう二月すれば
医科の三年になるんだから、危険な兆候があったかなかった位は分る。
父は『政治家というものは財産をスリ減らして家をつぶすのがオチだ、実業家か、慶応の
医科に入って医者になれ』という。
譚永年は僕と同期に一高から東大の
医科へはいった留学生中の才人だった。
それ等はまだ好いとしても、彼等の熱心に話してゐたのはメンスラテイオンか何かに関する臨床
医科的の事実である。