息子は二
十三歳で、
十代の時自分を生んだ母の、まして小児性を心得て居て、甘えるどころではなくて、母の甘えに逢っては叱ったり指導したりする役だった。
ありもしない感想をあるが如くに語ろうとするから、四
十代三
十代、分類、系列、苦心サンタン、妖怪を描きだしてしまうので、無理な背延びをしてはいけない。
次に私などは、今、戯曲を書くとすると、一番書きたいのは、男は五
十代から六
十代、女は、四
十前後といふところである。
私はまだ三
十代の半ばにも達していないが、それでも大阪を書くということには私なりの青春の回顧があった。
彼女は四
十代で夫に死に別れて、それから女の手ひとつで五人の子供を育てあげたが、総領の娘は奉公先で情夫をこしらえて何処へか駈け落ちをしてしまった。
北平に行つたのは、私の四
十代の時であるから、六
十ぐらゐになつて、閑にでもなつたら、『書』でももてあそんで見ようか。
僕がまだ二
十代で、故郷で弁護士をして居た時、石川は土地の新聞主筆として招かれて来た。
その又小説の少数の読者も二
十代には小説を読み、三
十代には講談を読んでゐる。