巴里のレストラントを一軒一軒食べ歩くなら、
半生かかっても全部廻れないと人は云っている。
いわば西部劇的な冒険児の
半生を歩いてきた人であったが、その気質はいわゆる東洋を股にかけた船員や商人とはだいぶ違っていた。
フロオベエルの後
半生は森に隠棲した聖者の如く静かなものであつたかも知れぬ。
一人の女に関する限りは現実を殺したのだが、私はそこで、ここで私の
半生に区切りをつけて、全く新しく、別の現実へ向つて発足しなければならないのだと考へたものだ。
彼は、いっそ京か浪華かで町人になり下って、国元の母を迎えてのどかな
半生を過そうかとさえ思った。
半生を東京の町中に多く暮して來た私などが、あの深い煤煙と塵埃との中に息づいてゐるやうな幹も草も黒ずみくすぶつた都會の樹木を笑へた義理でもない。
が私は六歳で村の小學校に上つて、二年生から三年生に進む大試驗に、私の
半生に唯一度の落第をした。
彼の
半生の経験は、——いや、そんなことはどうでもよい。
半生を放浪の間に送つて來た私には、折にふれてしみじみ思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい樣な懷しい記憶を私の心に殘した土地は無い。