ただそうすれば、みつは云々の句に、呪詞なり
叙事詩なりの知識が、予約せられていると見ねばならぬ。
神人に神憑りした神の、物語った
叙事詩から生れてきたのである。
だから、その前の「ひひな使ひ」は、「ひひな」に関する
叙事詩を語っていたにちがいない。
予は少時「葛城の神」を読み、予も亦いつかかう言ふ
叙事詩の詩人になることを夢みてゐた。
此刹那の巫覡の感情が久しく重ねられて、竹取の原型なる
叙事詩などにも織りこまれてゐたのであらうか。
神が現れて、自身には人の口を託りて語り出す
叙事詩は、必その村その国の歴史と信じられて来た。
神人に神憑りした神の、物語つた
叙事詩から生れて来たのである。
唯さうすれば、みつは云々の句に、呪詞なり
叙事詩なりの知識が、予約せられてゐると見ねばならぬ。
僕はいま日本に
叙事詩が生れなければならない現実的な環境と必然性とを考へ当分この長詩の形式を追求していきたい考へです。
一九三五(昭和十)年 五月に『小熊秀雄詩集』を耕進社から、六月には長編
叙事詩集『飛ぶ橇』を前奏社から刊行。