すなわち左に我が国号が、古来いかなる変遷を経て、以て今日に至ったかを
叙述しよう。
次には帝王の事蹟・宮廷・国家の事件を主として、編年の体に、事を
叙述して行つた点である。
この様に、事件を
叙述する事よりも、旅先又は旅の中途の感情を主とするのが、つまり二つの土地の聯絡と言ふことを心に持つて来たことを示して居るのである。
第七節後鳥羽院関係の
叙述の終近く、初版には「上皇の風雅であり、遊びであらせられる。
但し震災防止につき、少年諸君が現在の小國民としても、又他日國民人物の中堅としても自衞上、はた公益上必要缺くべからざる事項を
叙述せんとするものである。
事件、情景等の
叙述、描写の比類少き巧みさは、恐らくすべての読者の直ちに気づくところであろう。