同族の二人の浜田弥兵衛が西と東にゐて、彼等各自の世界に彼等の力いつぱいの仕事をしてゐたと考へるのは愉快なことである。
然るに一方社会の悪分子は何等の道徳律にも束縛せられずして彼等の
同族を蕃殖せしめてゐるのである。
単行本で盛大に稼ぎつつ敗戦後一貫してモグラの運動をつづけている参謀がいるしその
同族同類もいる。
貴族の間に流行した私学の建設も、政治社会に於ける、
同族の繁栄を目ざして居たのである。
「われわれの
同族が、この先に集っているから、君をそこへ案内したい。
叔母が玉井家に嫁いだ明治十一年には、私の父もすでに三十一歳になっていたが、この年の六月十五日に初めて、
同族河上又三郎の次女タヅと結婚した。
以上は皆
同族の叛乱であるが、この外に東隣今川氏の部将との交渉がある。
尤も、中島商相を弾劾した菊池中将(九州の菊池神社を中心として、菊池
同族会なるものあり、中将はその会長である。
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの
同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
いはゆる骨肉相疑ひ、
同族相戮した、仇と味方のおくつき所——何某の墓、何某の墓としるした立札が、そちこちの途の邊に見えた。