九太夫はいまは旅館の主人だが、もとは奇術師で名の知れた
名手であった。
当時随一の碁の
名手で帝に召されて毎日碁の御相手に上つてゐたが、この坊さんは日本で最初の碁の本を著した人でもあつた。
息綱を握って加減をはかり、海底の良人の様子を手にとるように知り分ける
名手であった。
釣友正木不如丘博士が療養所の院長であるが、富士見に香味優れた蕎麥と、蕎麥打ちの
名手を小使として抱えていることが、院長の日ごろの自慢であるのである。
名手になると二百尾以上も釣るから、貫目釣りである。
「俺は随分強いつもりだ」こう答えたのは一式小一郎で、年は二十三で、鐘巻流の
名手であり、父は田安家の家臣として、重望のある清左衛門であった。
当時藤原信輔といえば土佐の
名手として世に名高く殊には堂々たるお公卿様。