外見は豪放磊落にみえるが実際は至つて気の小さな
善人だつたのです。
カトリックに於ては、
善人は天国へ、悪人は地獄へ、生れたばかりの赤ん坊は煉獄(ピュルガトワル)へ行きます。
生きてた時より顔色が白くなって、おかげで
善人になりましたというような顔だった。
なぜなら
善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。
私は悪人です、と言ふのは、私は
善人ですと、言ふことよりもずるい。
善人であらうが、悪人であらうが、一切衆生の成仏を……その大願をたてられた仏の慈悲、即ち、それは母の慈愛であります。
所詮彼は一個の情熱的詠歎家であり、その作品中のみならず、その感想等に於て、詩人らしき幼稚さと
善人らしき諄さを、やや勇敢に振撒いてゐる。
駆け出しの記者は会ってくれさえすれば、誰でも
善人に見えてしようのないものです。
豊吉は
善人である、情に厚い、しかし胆が小さい、と言うよりもむしろ、気が小さいので磯ぎんちゃくと同質である。
醉へることは、其の顏を見るまでもなく、其の話振にても分りたるが、その管卷くを見れば、根が正直の
善人なるべし。