絶えず続いて、音色は替っても、
囃子は留まらず、行交う船脚は水に流れ、蜘蛛手に、角ぐむ蘆の根を潜って、消えるかとすれば、ふわふわと浮く。
地謡・
囃子をはじめ、能そのものに対し、専門家或は同好家の一部からは、現在の東京の能謡を標準とした批難があることでせうが、それは謂はれのないことです。
ついお
囃子に浮かれ出いて、お社の神様、さぞお見苦しい事でがんしょとな、はい、はい。
やがて広場に出ると
囃子のやぐらや周囲の踊場が提燈や幕で美しく飾られていた。
私は小謡がすむと更に下宝生のワキで老松の居
囃子を演じ、次に宝生、金春、金剛三流輪番で東北の居
囃子、その次に喜多の高砂の居
囃子がある。
お
囃子をのせたり楽隊をのせたりした船が、橋の下を通ると、橋の上では「わあっ」と云う哂い声が起る。