文中の『大日本地誌』は、山崎直方佐藤伝蔵両氏の編で、
地質地形等は両氏が受け持ち、部分的の地誌は、花袋らが分担記述していたのであった。
だから、羽村の堰から下流は
地質が悪いにも拘わらず良質の水垢を発生する水成岩の転石が、河原に磊々としていたからである。
のみならず、柄いき以上に、
地質の吟味にとりかかつてゐます。
これは、天文・
地質・生物の諸科学が、われらにおしえるところである。
實際
地質學で研究してゐる地層の深さは地表下二三里内に横たはつてゐるもの許りであつて、醫學上の皮膚科にも及ばないものである。
私なぞは当時あの書に対して何様な評をしたかと云うと、
地質の断面図を見るようでおもしろいと云って居りました。