「おとうさん、わたいはちいさいから馬をひいて行くことはできないけれど、米俵の上にわたいをのせてくれれば
地主さまのお屋敷まで馬をつれてってきてあげるよ」
開墾地一帯の
地主、狼のような痩躯の藤沢が、開墾場一番の器量よしである千代枝を伴れて、札幌の方へ帰って行くのだった。
大人達のチャセゴは、軒々を一軒ごとに廻るのではなく、部落内の、または隣部落の
地主とか素封家とかの歳祝いの家を目がけて蝟集するのであった。
維新前江戸、諸大名の御用商人であつた私の實家は、維新後東京近郊の
地主と變つたのちまでも、まへの遺風を墨守して居る部分があつた。
二丁目の我が借家の
地主、江戸児にて露地を鎖さず、裏町の木戸には無用の者入るべからずと式の如く記したれど、表門には扉さへなく、夜が更けても通行勝手なり。
そうしているところへ、
地主の下男が、喰い殺された雛の脚をさげてやってきた。
私の家といふのは、村に唯一軒の桶屋であつたが、桶屋だけでは生計が立たぬので、近江屋といふ近郷一の大
地主から、少し許り田を借りて小作をしてゐた。
それが、九歳か十歳の時、大
地主の白井樣が盛岡から理髮師を一人お呼びなさるといふ噂が恰も今度源助さんが四年振で來たといふ噂の如く、異樣な驚愕を以て村中に傳つた。
以前一町ほどの小作をしていたが、それはやめて、田は
地主へ返えしてしまった。