が、知り合いの医員は一人も居らず、たった一人、頭の禿に見覚えのある
守衛がいた。
(これは私が孫中山の霊に対し、心からなる黙祷を捧げたのを、孫中山をヤングチャイナ建設の父と仰ぐ
守衛を喜ばせ、それで私に敬意を表したに相違ない。
この実験は厳密に行はれ、昼夜交替で墓の上を軍人共が
守衛した。
その日も青二は、べんとうを放送局の裏口の受付にとどけ、
守衛の父親から鉛筆を一本おだちんにもらい、それをポケットにいれて、崖下の道を引っかえしていったのである。
守衛が敬礼をすると、紳士は、別にその方を振りむいてもみないのに、鮮かに礼を返したが、その視線は、更に路面の上から離れなかった。
不意に声をかけたのは、裏門を守る宿直の
守衛だった。
彼がそばを通っても
守衛たちは起立するどころか、玄関をたかだか蠅でも飛び過ぎたくらいにしか思わず、彼の方をふり向いてみようともしなかった。