幸吉は立派な新築したけれども、うちで営業するわけじゃなく、今もって昔ながらの
屋台をだしている。
廂は縦に、壁は横に、今も
屋台は浮き沈み、危く掘立の、柱々、放れ放れに傾いているのを、渠は何心なく見て過ぎた。
今日なほ紀州粉河の祭礼の
屋台には、髯籠を高くとりつける。
道の四辻には楽隊の飾
屋台が出来、人々は其のまわりで見付け次第の相手を捉えて踊り狂った。
うすきたない
屋台から、途方もない絶品佳肴がとりだされたのには、チーア卿も目をぱちくりであった。
そうして「沈黒江明妃青塚恨、耐幽夢孤雁漢宮秋」とか何とか、題目正名を唱う頃になると、
屋台の前へ出してある盆の中に、いつの間にか、銅銭の山が出来る。
わたしは例のごとく半七老人をたずねようとして、赤坂の通りをぶらぶら歩いてゆくと、路ばたには飴屋の
屋台を取りまいて二、三人の子どもが立っている。
通り越して、ひょいと向うを見ると、はしなくも目にうつったのは、「易断」と丸提灯に染めぬいた大道易者のささやかな
屋台です。
御宅へ御邪魔して、神戸へ戻り、メコちゃんという、
屋台の焼とり屋で、一本コップ酒、四本の、かわつきのとりを食べ、そこから、七十円で帰ったの。
それは道側に
屋台を下していた売り歩く蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。