女の足で箕輪から
山の手の番町まで往復するのであるから、時のかかるのは言うまでもないが、それにしてもちっと遅過ぎると十吉は案じ顔に言った。
山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。
しもた家の多い
山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。
下町気質よりは伝法な、
山の手には勿論縁の遠い、——云わば河岸の鮪の鮨と、一味相通ずる何物かがあった。
と見る間に箒ではきかけるやうなあわただしい雨、私があわてゝ逃げ込んだのは、
山の手のとある崖際の家の歌舞伎門であつた。
僕の通っていた学校は横浜の
山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。
高台にある町ゆゑに上町とよばれたまでで、ここには東京の
山の手といつたやうな意味も趣きもなかつた。