上野駅で偶然小林秀雄と一緒になつたが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の食堂車にのりこみ、私の下車する越後
川口といふ小駅まで酒をのみつゞけた。
大阪では地震と共に、小さな海嘯があつて、木津
川口の泊り船は半里以上も、狭い水路を上手へ、難波村深里の加賀の屋敷前まで、押し流されて来た時の話である。
○豊島の渡は荒川の
川口の方より幾屈折して流れ来りて豊島村と宮城村との間を過ぐる処にあり。
川口界隈の煤煙にくすんだ空の色が、重くこの橋の上に垂れている。
ところが二度目の訊問に於ても、
川口不二の陳述は最初のそれと少しも違わなかった。
前に、
川口、伊賀山両君の大作といひ、当今、百枚に余る作品を自由に発表し得る幸運は、劇作同人諸君に限り与へられてゐるの観がある。
一丁目から二丁目へかけては木綿問屋の多いところで俗に木綿店というくらいだが、この
川口屋は酒屋で、店もふるい。
これは反射面の多い
川口の存在を明かに示してゐるのである。
五百石積の金毘羅船が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、
川口を海へのり出した時の景色は、如何にも勇ましいものだつたさうである。
日影なおあぶずりの端に躊ゆたうころ、
川口の浅瀬を村の若者二人、はだか馬に跨りて静かに歩ます、画めきたるを見ることもあり。