そのころは
左翼運動の旺んな頃で、高木と私が歩いてゐると、頻りに訊問を受けた。
芸術派は小党分立、ともかく党派的にシノギをけずるところもあるが、
左翼となると論外で、自分の方は頬カムリ主義だから、ろくな作品が生れる筈はない。
民主々義だの何だのといひ廻る岩上先生はかういふバカなことを言ふ先生なので、いつたいに
左翼的な人たちはみんな役人型であり、ファッショ型だと思へば間違ひがない。
もしあの当時
左翼芸術に高度の芸術性があつたなら、私の今日もよほど違つたものになつてゐたと思ふ。
然らば、それがどうしてさういふ
左翼思想に趨つたか。
女性と雖も、その上、
左翼思想の流行に無関心ではゐられず、アメリカニズムの宣伝に耳を傾けないわけにいかぬといふ始末である。
一九三七(昭和十二)年 七月の日華事変勃発と相前後して
左翼系の文学誌が壊滅状態となり、発表の場が急速に狭まる。
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左翼劇見物は芝居を観てゐるのでなく、扮装せる政壇演説を聴きに来るのである。