伊勢の斎宮に対して、後世賀茂の斎院のできたことからみれば、本来は主神に仕える皇族女子のほかにも、有力な神に接する女王の
巫女があったことは考えられる。
またその媼
巫女の、巫術の修煉の一通りのものでない事は、読者にも、間もなく知れよう。
近代に於て、
巫女を拝する琉球の風習は、神々のものと考へたからでもなく、
巫女に附著した神霊を拝むものでもなく、
巫女を媒介として神を観じて居るものゝやうである。
竹取物語のかぐや姫の天の羽衣も、舶来種でなく、天子をはじめ
巫女たちも著用した物忌みの衣である。
彼の母は
巫女を頼んで、彼方此方の拝所へ詣って、百歳が試験に合格するやうにと祈った。
犬殺しが歩るき、
巫女が酒倉に見えるのもこの時である。
それは古風な大和琴だの筝だのといふ楽器を鳴らして、緋の袴をはいた小さな——非常に小さな——
巫女が舞ふのが、矢張り優美だつたといふ記憶がのこつてゐる。
私は、一生を神にささげた
巫女の生涯のさびしさが、なんとなく私の心をひきつけるような気がした。