若狭へ
帰省する私もおなじ処で泊らねばならないのであるから、其処で同行の約束が出来た。
私が二十二三の頃であつたが、夏休みで
帰省してゐるとき、海軍の水泳教官のたしか岩田とかいふ人物が新潟佐渡間を泳ぐためにやつてきた。
従って暑さ寒さのよりよりごとに、度々倶利伽羅を越えたので、この時志したのは、謂わば第二の故郷に
帰省する意味にもなる。
若狭へ
帰省する私もおなじ処で泊らねばならないのであるから、そこで同行の約束が出来た。
約十年間郷里を離れていて、一昨年
帰省してからも、やはり私の心を奪うものは、人間と人間との関係である。
少年の私を楽ませてくれた駒ヶ池の夜店や榎の夜店なども、たまに
帰省した高校生の眼には、もはや十年一日の古障子の如きけちな風景でしかなかつた。