旗野の主人果てて後、代を襲
ぐ子とても無かりければ、やがて其家は断絶にけり。
篝火の影の濃き霧に映ずるところ、所々に炭坑を過
ぐ。
「十月二十六日夜九時、御殿場富士屋へ着、寒暖計五十六度、曇天、温に過
ぐ、明日の天候を気遣うこと甚だし。
瘧だごったら、医者さかげる程のごどでもがすめえで、瘧ずもの、うんと仰天させっと、直ん
ぐに癒るもんだどみっしさ。
今般、当村内にて、切支丹宗門の宗徒共、邪法を行ひ、人目を惑はし候儀に付き、私見聞致し候次第を、逐一公儀へ申上
ぐ可き旨、御沙汰相成り候段屹度承知仕り候。
時事日報に掲載せられし海戦の実験談てふもの比較的明細にして海戦の詳説とも見るべければ茲に下に掲
ぐ沼地がある——其處には蘆荻の風に騷
ぐ状が見られた。