彼は、自ら、凡
庸らしくなく努めたのでは決してなく、彼自身の凡
庸さとも必死に闘ひ、その闘ひのすがたが、彼の作品の随所に描かれてゐるのである。
湯にしてやや冷を帯ぶるものを見、これを指して水なりといい、水にして少しく熱を含むものを見、これを指して湯なりという、ここにおいて
庸俗の徒ははなはだ惑う。
日本ではエミイ・ロオウエル女史が有名だが、テイツチエンズ女史も
庸才ではない。
昭公が外國で薨じ、その弟の定公が三桓に擁立されて魯の君となると、間もなく孔子は魯の國に登
庸さるることとなつた。
運命が善いの惡いのと云つて、女々しい泣事を列べつゝ、他人の同情を買はんとするが如き形迹を示す者は、
庸劣凡下の徒の事である。