南球五万哩余程、沐雨梳風嘆独行、帰入旧
廬有相識、一窓梅月照寒更。
新室の宴及び、旅にあつての仮
廬祝ぎから出て来た「矚目吟詠」は、次第に叙景詩を分化して来た。
今ではその跡にバラック住いをして旧
廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の存する梵雲庵が復活するのではない。
皇は神にしませば天雲の雷の上に
廬せるかも (柿本人麻呂)
君が
廬を過ぐるごとに、未だ嘗て其不幸を悲まずんばあらざりき。
醜悪なる社界を罵蹴して一蹶青山に入り、怪しげなる草
廬を結びて、空しく俗骨をして畸人の名に敬して心には遠けしめたるなり。