自分の画に他人にない自分の生んだリズムがある、筆触がある、如何にいゝ
彫刻師でも、如何程巧で忠実に彫つても自分とは縁の遠い物である。
資本主義も社会主義も有りはしない、そんなことは昼寝の夢に
彫刻をした刀痕を談ずるような埒も無いことで、何も彼も滅茶滅茶だった。
が、春日町へ着いてみると「希臘
彫刻手記」は、そこへも来ていなかった。
「するとその肺病患者は慰みに
彫刻でもやっていたのかね。
と思うとその元禄女の上には、北村四海君の
彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。
だがそれを褒める倫敦人に彼等の意味を殖民地博覧会の門冠
彫刻以上に汲取らし得るかは疑問だ。
底本の親本:「
彫刻真髄(新装版)」中央公論美術出版
そしてその代償として、
彫刻師には
彫刻をしてもらい、画家には絵を描いてもらったのである。
凡そ当今美術とか称えまする書画
彫刻蒔絵などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀なものでございます。
身につけるものではないが、例えばマイヨオルの
彫刻はせいぜい銅か土の固りであり、「信貴山縁起」は一巻の長い紙であり、名工の茶匙は一片の竹であるに過ぎない。