近代俳優の特色が、いはゆる限られた
役柄をもたぬところにあるとすれば、中村伸郎はまさに、さういふ俳優の一人である。
八重子が自分の
役柄を豊富にするには、この小さな「気取り」を投げ捨てなくてはならない。
これでは、どんなに秀れた脚本をもつてしても、第一に、
役柄の上で、見物を魅了するやうな舞台は観せられないのである。
日本でも西洋でも、古典劇には、この柄を基礎にして、所謂「
役柄」の制度があつた。
これは単に日本でいふ
役柄の問題以上、俳優全体の生れて来る道筋に関係があるのである。
「よき意志」によつて自作が演じられることの楽しさと、俳優が、自分の
役柄にない、又は反した役を演じ活かす例の微妙な力に対する興味とを考へたからである。
さて、そのある局に、【一人の官吏】が勤めていた——官吏、といったところで、大して立派な
役柄の者ではなかった。
それにまた、あの人と同じ
役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。