明治三十七年、日露戦争の当時、わたしは
従軍新聞記者として満洲の戦地へ派遣されていた。
私は椅子に腰をかけて、ただ茫然と眺めている中に、満洲
従軍当時のありさまをふと思い泛んだ。
東京では、六時から、日々新聞の主催で、今度の
従軍作家のために、日比谷公会堂で、送別の催しがある筈だ。
大学生から、
従軍を志願して、士官候補生に採用されたイワノウィッチが、ワルシャワに到着したのは一九一五年の夏の初めであった。
「僕はきのう本国の政府へ
従軍したいと云う電報を打ったんだよ。
従軍紀行文的なもの(遅塚麗水「首陽山一帯の風光」)及び、戦地から帰った者の話を聞いて書いたもの(江見水蔭「夏服士官」)は、まだやゝましだとしなければならぬ。
「だって、おとうさんは
従軍僧で戦争にいっておるすだし、これからも長いことお目にかかれないと思うわ。