けれども忘れることのできないのは、四谷見付から信濃町へ
御所の裏門を通る道で訊問を受けたことであつた。
これは後日の話であるが、信長が天下を握って、
御所を修理したり、お金を献上したり、色々と忠勤をつくして朝廷の衰微を救ったという。
小野小町
御所を出て、年たけて、関寺辺の柴の庵に、住んでゐた。
が、攻撃の令は容易に下らないのみか、
御所の使番が三騎、白馬を飛ばして、諸陣の間を駆け回りながら、
頼政は仰せを承りますと、さっそく鎧胴の上に直垂を着、烏帽子を被って、丁七唱、猪早太という二人の家来をつれて、
御所のお庭につめました。
坂上田村麻呂は今から千年余りも昔、桓武天皇が京都にはじめて
御所をお造りになったころ、天子さまのお供をして奈良の都から京の都へ移って来たうちの一人でした。
お聞きになったこともあるでしょうが、じつはわたしは、むかしなにがしの院さまの
御所に召し使われた玉藻前という者でございます。
私は三室戸伯のお導きを得まして、作を携えまして、先般
御所に参候いたし、滞りなくこれをお納め申し上げましてございます。
二十四日、三室戸様に伴われ、皇太后様御滞在中の
御所へ、上納の御挨拶を言上に上がりました。
かなしさは落城のあと冬たけて
御所ヶ丸山さびしくそびゆ