彼の父は彼の七歳のとき病死しましたので、母親は一人っ子の留吉を杖とも柱とも思いましたが、留吉は母親の強烈な
慈愛をも、まるで感じないかのように暮らしました。
山の沈黙にゐて思ひ出す雑踏の
慈愛と同様に、雑踏にゐてふと紛れ込む山脈の映像は、恰も目に見え、耳に冴え、皮膚に泌みる高い香気を持つものであつた。
ところで、もし、神様の御
慈愛によつてドストエフスキーがよみがへり、自伝を書いて、又、死んだとする。
父とも思う細巻の怒りに
慈愛のこもっているのが骨身にひびくのである。
私は、海の
慈愛と同時に此の雲と云ふ、曖昧模糊たるものに憧憬れて、三年の間、瓢々乎として歩いて居たといふわけであります。
袋猫々探偵なら、奇賊烏啼を扱うには誰よりも心得ているだろうから、奇賊をして繭子夫人に一指をも染めさせないであろうと、善良にして
慈愛に富む夫は述べたことだった。
慈愛ぶかい司教さまは永遠にいます父——神のごとくに見え、教会の円天井のあなたに天国を見ていたのであります。
渠等が
慈愛なる父母の掌中を出でて、其身を致す、舅姑はいかむ。
また普通にいって品行正しい、
慈愛深いというだけでもやはりいま一息である。