やはり私は自分を育んでくれた朝鮮が一等好きであり、そして
憂欝そうでありながら仲々にユーモラスで心のびやかな朝鮮の人達が好きでたまらないのだ。
それを見ている翁は、心中それほどの苦悩もないのだが、眼だけでも峯の愁いに義理を感じて、
憂げに伏せてはまた開くのであった。
彼は勿論こう言う町々に
憂欝を感ぜずにはいられなかった。
天下既に乱れ身辺に内戚の
憂多い彼が、纔に逃避した境地がその風流である。
試みに先生等身の著作を以て仏蘭西羅曼主義の諸大家に比せんか、質は※天七宝の柱、メリメエの巧を凌駕す可く、量は抜地無
憂の樹、バルザツクの大に肩随す可し。
所持品により、本籍並びに番匠幹枝という姓名だけは知りたれども、同人は精神激動のためか、殆んど言語を洩らさず、凡てが
憂欝狂の徴候を示せり。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の
憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。